無力の手、揺れる心。ギランバレー症候群と診断された看護師の初日。

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6月12日

神経内科を受診したかった僕は、今回は違う病院を選んで診察を受けることにした。
期待と不安を抱きつつ、朝早くから行き病院で受付をします。

『今日こそは…』

初診なので、当然時間がそのまま過ぎていく。
1時間…
2時間…
3時間…

その間に、病院の中を見回す。
他の病院にくると、どんな設備や看護してるんだろうと興味が沸く。
フットケアについてのパンフレットが何冊かあった。
病棟が今取り組んでいて、看護研究のテーマにもしている。
なにかの参考になるかな?と考えて鞄に詰め込んだ。

待合室で妻と二人、ただ待った。
そして、待合室がほぼ人気がない状態になったとき、ようやく僕の名前が呼ばれた。
不安と期待が混ざり合い、診察室へと足を進めます。

また、異常ないって言われたら…

先生に、今日までの経過を説明した。
普通なら、「金曜日の朝、手が動かなくなった」と言うところだ。
だけど、それよりまず、一週間前に熱が出たことから話しをする。
ギランバレー症候群だとしたら、発症前の感染症が大切な判断要素になると思っていた。

問診が終わると、先生による運動機能や神経機能の診察が始まり、その後に診断が下された。
「ギランバレー症候群ですね。」

その言葉を聞いて、僕の頭に浮かんだのは「やっぱり…」という感想だった。
何となく覚悟はしたので、嬉しさと一緒に不安にも襲われた。
もし昨日の受診先で言われた通りにしばらく待っていたら、どうなってたんだろう。

嚥下障害、顔面麻痺、最悪の場合は呼吸抑制から人工呼吸器の必要性まで含む可能性がある。
やはり、診てくれる医師との出会いは自分や家族を守るためにも大切なことだ。

病状がどの程度進行し、どの程度で改善するのか、リハビリはどれくらいかかるのか、後遺症は残らないのか…すべてが今はわからない。
過去に看護した何人かの患者さんの姿が浮かんだ。

次に先生から出た言葉は

「私は大学病院から来てる非常勤なんです。入院となったら内科の先生にお願いすることになります。」

なんでも、今年から神経内科の常勤の先生はいないとのことだった。
タイミングが悪い…

だけど妻は、病名が付いたことにとりあえず喜んでいた。
「よかった…」

僕はまた不安に包まれていた。

万が一、別の病気だったら?
完治しないとしたら?
あるいは…
と、止まないネガティブな思考が僕を圧迫する。
その弱さに自己嫌悪を覚えた。

次に、内科の先生に呼ばれた。
神経内科の先生にお願いされて、入院中に私の主治医になる。
専門は呼吸器内科だった。

説明を受け、「HCUに入院しましょう」と伝えられた。

看護師さんが車椅子を運んできた。
僕は足に力が入らず、左手が震えていた。
安全のため、車椅子へと移されることになったのだ。

初めての車椅子体験。
少し躊躇したが、わがままを言える体の状態ではなかった。

低くなった視点からの風景。
「車椅子って、こんな感じなんだ」
と、少し他人事のようにボーっと周りを眺めていた。

入院の前の検査。
採血、心電図、胸部レントゲン、CTを撮る。

座ったり起きたりするとき手に力が入らない…
身体を全然支えられてない。
自分のことを自分でできないこと…
介助してもらうことが、辛かった…

手首にバンドを付けて病棟へ。
患者様の間違い防止のために主流になってる。

実は看護学生時代に患者様の準備してあったリストバンドを自分の手首に試して除けれなくなり、ひたすら謝った苦い経験がある。

病状が進行すると、呼吸ができなるなる可能性があるためHCUへの入院だった。
入口は施錠されており、スタッフにより開錠され入れる仕組みになっている。

中に入り目の前に広がった視界は、仕切りにより半ば隔絶されたプライベート空間。
一人の部屋。

ベッドへ横たわると、素早く衣服の交換、身体には無機質なモニター、血圧計、サチュレーションの装着。
何もできない力の薄れた身体を、スタッフの介助の手が支える。
靴下は弾性ストッキング、そしてベッドは四点柵の固定装置。
まるで重病人みたいだ…

白い弾性ストッキングに視線を落とすと、思い出すことがある。
弾性ストッキングは血栓予防として手術後や心不全、脳梗塞の患者にはいてもらっていた。
ひとつ前の病院で看護研究のテーマとして取り組んだ。
その完成のために、勤務時間外に多くの時間が費やされた。

しかし、医者の不養生ならぬ、看護師の不養生だなぁ…
自分が患者になるとは考えなかった…

入院期間、費用、家族の状況、職場のこと…心の中に浮かぶ無数の問いに答えはなく、ただ無力感に打ちひしがれる。誰が悪いわけでもなく、ただ自分の身体に怒りをぶつけるしかなかった。

なんで

なんで、こうなったんだろう…

…髄液検査だ。
ギランバレー症候群の診断には不可欠の検査。
僕も何度となく患者さんに介助したその行為が、今度は自身へ向けられた。
腰椎に針を刺すところを見てきたけど、客観的に見ててもすごく痛そうで怖そうな検査だった…

先生が来るのを待つ前に一度、連絡取りたいとお願いし車椅子で外に出る。
病院の内部には制約があり、電話は特定の場所でしか使用できなかったからだ。

とりあえず勤務先と両方の親に入院になったことを電話する。
本当に申し訳ない…すいません…
病気の後、ずっと繰り返される感情。
口にするたびに余計に、悲しくなっていく…

夕方になり救急の先生が来てくれた。

手が震え、脈が速く打つ。
ベッドの上で横向きになり背中を丸め、肩甲骨が目立つようにした。
看護師さんが、冷たく、無機質な消毒液を私の肌に塗りつける。
「はい、ちょっと冷たいですよ。」と優しく声かけてくれた。

私の背中がヒンヤリとする。
不快な冷さが私をさらに緊張させる。
針が僕の皮膚を突き破ることを考えると背筋が凍る。

「チクッとしますよ。」と医師が告げる。
麻酔がの針が体に突き刺さる。

いたいっ

麻酔が効くと、次に髄液採取が始まる。
「んんんん…」私は歯を食いしばる。
麻酔は効いているが、それでも痛い。

すべてが遅く、長く感じる。
時間はまるでゆっくりと進むようだ。

「はい、いいですよ。しばらく安静にしてくださいね。」と医師が言う。
一時間の安静。

床擦れを予防するためのマットが柔らかく、首が痛い…
身体がマットに沈むと、私はただぼんやりと天井を見つめる。

この状況が終わるのはいつだろう。
そして何がこの先に待っているのだろう。

アナムネーゼ(病歴)が終わり、入院の書類を記入した。
妻は入院用の荷物を持ってきてくれる。
僕の母と二人の子供たちも一緒だった。

しかし、弱っている自分の姿を家族に見せるのが苦痛で、僕は横を向いて強がった。

夕食が配られ、昨日の昼以来何も食べていなかったので、食事にかぶりついた。

しかし、手を上げるのが難しい…

食事をするだけで疲労が強く、脈が速くなり、息が切れる。

つらい…
しんどい…

「パパ、大丈夫?」と長女が僕の手を握って声をかけてくれた。

子供たちが病院に来ると騒がしくて周りに迷惑じゃないか心配だった。

夕方になって、主治医の先生が説明に来てくれる。

僕は気になっていた。
僕の症状はギランバレー症候群にしては軽いんじゃないか…

本当に僕はギランバレー症候群なのか?
もし違う病気だったら?
治らない病気だったら?

その不安を拭うことができませんでした。
思わず、髄液検査の結果を尋ねました。

「明らかな所見はないけれど、否定できる所見もなかった」
と先生はが答える。

面会時間が終わり皆が帰った。

そして、大量のグロブリン療法が始まり、長い夜が訪れる。
不安があった。
子供のころムカデや虻の毒でアナフィラキシーショックを起こし、血圧がストンと下がったことがあった
輸血製剤投与によるアレルギー反応はでないだろうか…
実際に投与が始まり、一本・二本・三本・四本・五本と終わり思った程の症状はなく一安心した。

全ての光が消えた病室の中で、僕はこれからの日々について考え続ける。

時折聞こえるカートを押す音
アラームの音
スタッフの話し声

静かに響き、モニターに映る波形を見つめながら、朝が来るのを待つ。

朝は遠い…

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