はじまりは突然の発熱…握れない手、動かない足。患者になった看護師

僕は娘が小学校に入学するのに合わせて、引っ越しをして勤務先も変更した。
以前勤務していた病院では、忙しくて家にほとんどおらず家族との時間がつくれなかった。
それが引っ越しをした一番の理由だ。
新しい場所で1年が経過したころ、僕は副主任に昇格し、その結果手にしたのは忙しさと重い責任感になる。

その直後に僕の世界は突然変わる出来事が起こる。
僕の手が上手く動かせなくなったのだ。
目の前のものを掴もうとしても、その指先は伸びることができなかった。
力を入れようとしても、うまくはいらない。

何が起こったのだろう?
一体なぜ僕はこのような状態になってしまったのか?

この闘病日記は、僕の闘いの記録です。
僕自身が経験した現実であり、日常から突然引き裂かれた時の恐怖、混乱、そして希望の日記。
同じ状況の人へ何か届くものがあればうれしいです。

目次

5月30日

夜勤明けで家に帰った。
子どもが学校から帰宅し、宿題が終わると一緒にみんなで外出した。

いつもと変わらない時間。

しかし、その平穏な日常は、突然の寒気によって揺さぶられた。

夕方になると寒さが僕の体を包み込んだ。
厚着をして布団をかぶる。
体温は38.4度まで上昇した。
夜勤明けの疲労感もあり、夕食を食べれずにため息をつく。

用意されてた夕食は、少し高めの牛肉を使用したステーキだった。
「なんてタイミングが悪いんだ…」

自分の運の悪さを嘆き、食事を終えることなく布団へと向かった。

5月31日

一眠りした後で目が覚めると、汗がびっしょりと出て熱は下がっていた。
身体は怠かったけど熱もなく、とくに他の症状もなかった。

安心したところで、夜になると状況が一変する…

夜中の10時。
前日を上回る寒さに身体が包まれる。
体温計は一気に39.4度を指していた。

頭はまるで割れそうなほどに痛かった。
痛みで気が遠くなるほどに…

しかし、その痛みは頭だけにとどまらず、お腹もパンパンに張り裂けそうなほどだった。

僕は元看護師の妻に声をかけようとした。
しかし、眠っているのを見て、その考えを捨てた。
休んでいるのを自分のことで、わざわざ起こすのは申し訳ないと思って我慢した。

そして一晩中、この痛みと戦った。
辛くて、悶えるばかりだったが、とにかく我慢した。

明日は仕事だ、何と治ってくれ…

ただ、そう祈るだけだった。

6月1日

朝が来たが、熱は引かず、頭痛も続いた。
仕方なく、電話を取り職場に欠勤の連絡を入れる。

休みの電話を掛けるときは、ストレスでいつも胃の痛みに苛まれた。
自分が休むことで、同僚に負担を強いる自分が許せなかった。

「すみません、本当にすみません」と謝罪の言葉が電話口からこぼれ落ちた。
しかし、ただ謝るだけでは何も解決しない。

せめて、一日でも早く治さないと…

近くの診療所を探し、妻に連れて行ってもらった。
待ち時間の長い病院は耐えられないと思ったので、総合病院ではなく診療所にした。

とにかく熱を下げたい、頭痛から解放されたい、薬が欲しい…

診察室の扉が開き、ようやく名前が呼ばれる。
症状を説明し、点滴を打つことになった。

しかし、僕は早く消炎鎮痛剤が欲しかった。

頭が痛い
頭が痛い
頭が痛い
頭が痛い

とにかく、それしかなかった。

診察が終わり、「嘔吐下痢でしょう」と医師から告げられた。
消炎鎮痛剤、吐き気止め、整腸剤が処方された。

すぐに薬を飲む。
そして、すぐにでも症状が落ち着くことを祈った。
明日は研修に参加しないといけなかった。

6月3日

この日は日勤。
日曜日や祝日は人手が足りないので、休むわけにはいかない。

誰かに迷惑をかけるのは、自分が許せなくなる。
出勤前に時計を見つめ、タイミングを計算して薬を飲んだ。

職場までの通勤時間はおおよそ1時間。
その間、山道を車で走るのだが、腹痛との戦いが待っていた。
すぐにトイレに駆け込めないからだ。

熱と頭痛は薬で何とか抑えられた。
しかし、断続的に痛む腹部は別の問題だった。
その痛みは立つことすら困難なほど。

申し送りをしながら、何度となくお腹を抱えた。
「いたたたたた…」
その痛みに耐えながら、働くことを続けた。

少しすると徐々に症状は落ち着き始めた。
時間が経つにつれて、動くことができるようになっていった。
まだ異動したばかりの病棟。
普段から仕事が遅い自分…
人より頑張らないといけない。

「少しでもみんなに迷惑をかけないように…早く一員としての力になれるように…

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